オープンパブリケーション新時代がやってきた!
筑波大学とF1000Reseachによるオープンリサーチ出版ゲートウェイ 開発ムーブメントは、伝統的な学術出版エコシステムを変える布石となるか?

今の学術出版業界は戦国時代である。
90年代に端を発したインターネットの普及は伝統的な学術出版の枠組みを揺るがしオープンサイエンスの可能性を広げたが、同時に出版社とアカデミアの間に多くの軋轢を生み出した。

その状況に日本の大学として初めて切り込んだのが筑波大学である。彼らがF1000Researchと共同で2021年2月にリリースしたオープンリサーチ出版ゲートウェイは、商業出版社とジャーナルの存在意義を問い、大学が独自に出版の代案を提案する新しい試みだ。

特に注目すべきは、欧米の新しい出版プラットフォームを活用しながら、非英語圏の研究機関に共通する課題である人文社会学系研究の多言語出版の問題に切り込んだことである。学術におけるサイエンス偏重、英語偏重の時代に、日本語出版が必須の研究をどうしたら同じ土俵に載せて公平に評価することができるのか?学術出版をコントロールする手綱を、どうしたら研究者の手に取り戻せるのか?筑波大学の人文社会学系の研究者とURAが中心となり、このニッチな問題に一つの解決策を見出そうとしている。

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F1000Researchと筑波大学のパートナーシップ協定が意味するもの

2020年5月、筑波大学は、研究者が英語か日本語で論文を出版できる世界初のオープンリサーチ出版ゲートウェイの開発に向けて、オープンアクセスの出版プラットフォームを提供すF1000Research社とパートナーシップ協定を結んだ。 F1000Researchの出版ゲートウェイは迅速な出版を可能にし、査読の透明性をも向上させる。独自の論文ガイドラインに基づいてすべてのソースデータへのアクセスを保証しているからだ。この画期的な出版モデルが目指すのは、自分の研究成果をどこでどのように発表するか、その決定権を研究者自身がもつようになることである。 F1000Researchとの提携により、筑波大学の研究者は研究成果や研究データをオンラインで出版できるようになる。出版言語を英語か日本語のどちらかから選べることは、特に人文社会科学分野の研究者には朗報だろう。 この取り組みは、世界中のオープンアクセス・ムーブメントの最先端を担うものでもある。オープンアクセス・ムーブメントとしては、2002 オープンアクセス出版に強い追い風が吹いているのは明らかだ。 誰でも無料で研究成果へのアクセスを可能にするこのパートナーシップ協定は、このうえないタイミングで結ばれた。新型コロナウィルスの感染拡大の影響で多くの産業が経済的苦境に立たされるなか、有料の壁をなくして多くの人々に情報のアクセス権を与える試みは歓迎される。また、F1000Researchと同社の提供する「F1000Research出版モデル」は、研究データをオープンに入手できるようにすることで、研究のコラボレーションをも推進しようとしている。コラボレーション研究も今の時代のニーズに即したものだ。 F1000Researchと日本有数の高等教育機関である筑波大学の提携は、日本がオープンアクセス出版へ真剣に取り組み始めたことを意味するものとみられている。オープンアクセスに関しては、業界の専門家によると、日本がこれまで目立った動きが示してこなかった分野である。 また、このパートナーシップ協定であまり語られないが重要な利点は、研究者が研究成果の発表言語を自由に選べることである。科学分野では英語が世界共通語であるが、英語に堪能でない研究者には障害となっている。F1000Researchの提供するプラットフォームではこの制約を取りのぞき、国際的な媒体で日本語の論文を公表することが可能になる。この動きは、日本の思想や歴史、文学など日本語でしか十分に議論できないと考える分野の研究者に歓迎されている。 さらにこの出版モデルでは、日本語で書かれた論文もScopusやWeb of Scienceなどの論文データベースにインデックスされる。日本語で書かれたハイレベルな研究成果の可視化がすすむだろう。 今回の協定は筑波大学にとってもF1000Researchにとっても重要な一手と考えられる。F1000Researchは、日本のトップ大学と提携することで日本におけるオープンアクセス・ムーブメントを大きく前進させ、研究成果の発信方法に変革をもたらすことを目指す。筑波大学にとっては、ふたつの言語で迅速に出版できるプラットフォームを得ることで、アウトリーチ活動を促進し、大学の評価を高めることが期待される。

人文社会学から仕掛けたムーブメント 現代の学術出版が抱える3つの壁を突破せよ

「F1000Research導入は、現代の学術出版システムへの問題提起ですか?」筑波大学に取材を申し込んだとき、最初に聞いた質問がこれだった。答えは「YES」。大学が独自の学術出版ゲートウェイを持つことの意味を探ろうとした私たちだが、取材を初めてすぐ、これは人文社会学系の研究者が出版業界に向けて仕掛けたムーブメントであるという事実に気がついた。   英語偏重、インパクトファクター至上主義の出版界に立ち向かう ことの始まりは、学長補佐室長でヘブライ語の研究者である池田潤教授と森本行人URAが2017年に独自に開発したiMD(index for Measuring Diversity)という新しい学術誌評価指標だ。図書館情報学・人文社会情報学も手掛ける池田教授は、インパクトファクターなど論文の被引用数を基にした学術誌の代表的な評価指標では、人文社会学と自然科学を同じ土俵で評価できないことに疑問を持ち、国・言語・分野を問わず全ての学術誌を「ダイバーシティ」という全く別の観点から評価するiMDを開発したのだ。 iMDの考え方は至ってシンプルだ。「より多くの国と研究機関の研究者の論文が発表されているほど、多様な著者に評価されているジャーナルである」として、特定のジャーナルに1年間で発表された全論文の著者の所属機関とその立地国の数を基にスコアを算出する。インパクトファクターには短期的なトレンドの変化を捉えられない、スコア算出の根拠となる被引用数データの透明性が低いなど様々な問題があるが、中でも彼らが特に解決したかったのは「英語」「自然科学系」「欧米」のジャーナルが圧倒的に有利になる点だ。 「学術情報流通における英語の重要性はもちろん否定しません。でも人文社会学にとって英語以外の言語での出版はとても大事なんです。例えば、日本文学の研究や日本の憲法を扱う研究は日本語で書いた論文が世界最高のはずですよね。英語でなければ国際的に評価できないから質が低いという風潮は間違いで、何語であっても良い研究は評価されるべきです。しかし、今は大学ランキングも国立大学法人評価も学内の研究評価もScopusなどの海外の論文データベースが基になっていて、ほとんどの人文社会学系の重要な非英語文献は掲載されておらず業績としてカウントさえされません。この英語偏重の学術情報指標は絶対におかしいと思ったんです。」と池田教授は言う。 この問題を国際的な学術出版社を交えて直接議論話し合うため、池田教授のチームはiMD開発の発表を兼ねて国際シンポジウムを企画した。そこで登壇者として呼んだF1000Researchの代表取締役、レベッカ・ローレンス氏との出会いが、今回のゲートウェイの導入に発展したのだ。   「ジャーナルのない世界を作りましょう」 もともと池田教授と森本さんは、アメリカのビル&メリンダ・ゲイツ財団が研究成果の公表にGates Open Researchと名付けたF1000Research社の出版プラットフォームのゲートウェイを利用していたことに興味を持っていた。ローレンス氏がシンポジウムのスピーチの最後に言った「みなさん、ジャーナルのない世界を作りましょう」の掛け声が、F1000Research導入を考え始める決め手になった。...

研究を学者の手に取り戻すために―筑波大学の改革マインドが問いなおす、学術出版と大学ランキングの未来

改革を理念に持つ大学に現れた、生粋の改革者。筑波大学が独自のオープンリサーチ出版ゲートウェイを国立大学とは思えない類稀なるスピードで実装できたのは、学長の「面白いじゃないか。失敗をおそれずとにかくやってみよう」という強い後押しがあったからだ、と現場の職員は口を揃えて言う。近年高まる学術出版の問題に日本から最初の一石を投じたのは、なぜ筑波大学だったのか?永田恭介学長本人に、そのこころを尋ねた。   —筑波大学が独自のオープンリサーチ出版ゲートウェイ導入に踏み切った決断には、大手学術出版社への強いメッセージ性を感じます。 「科学者の手に、学者の手に、研究の主体を戻さなければいけない」、我々が投げかけたい最も重要なメッセージはこれに尽きます。研究をしてそれを発表する責任は本来研究者にあり、研究の主導権は研究する側になければいけないはずです。しかし今の学術出版は、不動産業者のような出版の「仲介者」である出版社があまりにも主体となりすぎている。これではいけないと思うわけです。 研究者は研究の「生産者」であり、研究成果は多くの人に読まれ、公共財として幅広く消費され世界中で利用されるべきです。しかし、大手商業出版社が作り上げた今の仕組みでは、出版社側が掲載の決定権と著作権を持っていて、研究者自身にはそのどちらもコントロールすることができない。これが第一の、根本的な現代の学術出版の問題です。 そして第二に、今の大手出版社が研究者から二重利益を得ているという問題があります。研究者が論文を書いて投稿して採択されると、まずは高額な雑誌への掲載料を取られる。1本論文を書くと掲載料に40万や50万かかる場合もあり、僕の専門の生命科学分野などでは、年間10本書を書くこともありますが、そうすると出版料だけで400万や500万もかかってしまいます。その上で、研究者は論文を読むために同じ出版社から雑誌の講読料を取られます。場合によっては研究に使ったお金よりも、出版社に支払うお金のほうが高いことさえあるのです。 研究者自身が自分の研究の出版の是非をコントロールできず、著作権も持てず、にもかかわらず雑誌購読に高額の支払いを要求される。これは明らかにおかしいでしょう。大学も研究者コミュニティも、さすがに堪忍袋の緒が切れています。今回のF1000Researchとのオープンリサーチ出版ゲートウェイ開発は、この問題に対する筑波大学なりの問題提起です。   —アメリカやヨーロッパを中心に、海外の大学では学術出版社をボイコットする動きなどが広がっていますが、日本の大学がこの流れに具体的なアクションをとったケースは非常に少ないです。 日本の大学の人間も、個々には同じ問題意識を持っています。ならば欧米みたいにボイコットのような強いアクションを起こせばいいのにと思われるかもしれませんね。例えば、大学として特定の出版社の雑誌購読をボイコットするとか、ドイツのように「我が国の研究者はピアレビュープロセスに協力しません」と国として宣言するとか。でも本当にそれでいいんだろうか?「学問の主体を商業出版社から研究者に取り戻したい」と研究者の自主性を求めて声を上げているのにもかかわらず、政府や大学が研究者から文献を取り上げて、研究発展の基礎であるピアレビュープロセスに強制的に参加させないというのは、矛盾していておかしいと思いませんか? さらに、日本特有の大学の事情があります。欧米のように私立大学が強い国と違って、日本の理系の研究は国立大学を中心に行われています。国立大学には日本の研究クオリティを守る責務があり、大学の方針を優先して教職員や学生たちのライフラインである研究情報にアクセス制限をかけるのが本当に正しいのかという問題がある。たとえ大手出版社に反旗を翻したいからといって、国立大学が本来持つ公共性の部分がそれを許さない文化があるのです。その行動が学者に学問を取り返すどころか学者の仕事の妨げになっては本末転倒ですから。 —今回F1000Researchと開発したゲートウェイは、世界で初めて日本語による出版を可能にしたことも大きなポイントです。 それがまさに現代の学術出版の第三の問題です。グローバル化の中で人文社会科学、人間科学研究が日本語で研究発表することの不利さはこれまで拭えないままきました。例えば英文学なら英語で論文を書くし、ドイツ語研究ならドイツ語で書き、日本語研究なら日本語で書く。それは当たり前のことで、何語で書かれていようが、少なくとも最低限の学術情報は国際ステージに上げて世界中の誰にでもアクセスできる状態にするべきだと思います。その情報に価値を見出す人は、原文が外国語だとしても問い合わせる手段があるからです。今はその論文の存在を伝えるプライマリーな情報すら国際的なデータベースに共有されていない。これは大問題です。 研究は今や国や専門分野を超え、国際的かつ学際的に動いていて、人文社会学も例外ではありません。新型コロナウイルスの研究を見ればわかるでしょう。我が国だけ、特定分野だけ、という限られたくくりで新しい研究をすることはもう難しい時代です。出版言語の垣根を超えた出版プラットフォームを作ることは、分野や地域の分断を超える手段の一つとして、大きな意味があると思います。筑波大学は総合大学として、人文社会学系の研究者の価値をより世界に知ってもらうために何かしら工夫していかなければならないと考えてきました。今回作ったゲートウェイでは日本語の論文の投稿も可能で、一定の条件を満たせば国際的な論文データベースに論文がインデックスされる仕組みです。もちろん、これは一つのきっかけに過ぎず、人文社会学分野の出版と研究評価の問題にはもっと多くの改革が必要なのは言うまでもありません。  ...

研究の言葉の壁がなくなる時代へ―世界の見方を変えるアイディアで勝負する、21世紀型の知識のサーキュレーションを巻き起こせ

日本語でも英語でも、言語を選ばす投稿できるオープンリサーチ出版ゲートウェイは、人文社会学の研究評価の問題をどこまで解決できるのだろうか?そう尋ねると、「この出版モデルのヴィジョンはそこに留まらず、成功すれば知識のサーキュレーションを組み替える革命になるかもしれない」、と言語学者であり筑波大学の人文社会系の系長を務める青木三郎教授は語る。英語偏重の文化を覆し、言葉の壁を取り払った研究の未来は訪れるのだろうか?   「人文社会学系不要論」まで言われる時代ー基礎研究全般が抱える現代のお金と評価の問題をどう解決するか? 「人文社会系なんていらない」という不要論まで数年前から言われている時代です。でも実は苦しいのは人文社会学系だけでなく、サイエンスも含めた基礎研究全般です。端的に言えば、短期的に儲からない研究が憂き目にあっているのです。 人文社会学も自然科学も本質は同じです。人文社会学は「人間の本質とはなにか」を、自然科学は「自然の本質とはなにか」を見極める学問です。この2つは、世相と関係ない時間軸で行われている長期的な研究です。応用研究では大きな予算が取れるものもあるけれど、基礎研究はどれだけがんばって歯を食いしばってもお金が取れないものが多い。今は、お金が取れない研究、直接社会の役に立たない研究は認められないという風潮があります。 さらに今の人文社会学はサイエンスと同じ指標では業績評価ができません。サイエンスでは論文指標で定量的に評価することがある程度可能なのに対して、人文社会学系の研究はその土俵に乗ることができないのです。同じ評価軸で勝負したら負けてしまうし、負け続けると世の中全体が「もうこんな学問いらないよね」と言い出してしまう。良識があって俯瞰的な視野を持っているリーダーは、研究を量でなく本質的なクオリティで見ようと努力しています。しかし大学ランキングも然りですが、今の研究者と大学の評価の方法は科学技術の発想が中心となっているのがもう厳然たる事実なので、人文社会学が不利益を余儀なくされるのは仕方がないのです。 僕ら人文社会学系の研究者は、21世紀はそういう世界であるという現実を認識して、研究発表のスタイルを変えていかなければいけないところまで来ています。苦しいことですが、仕方がありません。この文脈からするとF1000Researchは全分野を同一規格の土俵に乗せられるという意味では画期的だと思います。   「アイディア勝負の時代」到来?ーF1000Researchは全く新しい知識のサーキュレーション・プラットフォーム F1000Researchの一番面白いところは、ジャーナルじゃないってことなんです。もっと広い意味での知識のサーキュレーション・プラットフォームなんです。知識を共有する方法が今までの出版の考え方と全く違う。特に人文系社会科学分野の伝統的な方法とは真逆です。真逆の2つをくっつけるのは非常に危険なことですが、その危ない部分に可能性があります。 人文社会学の研究成果は、伝統的には著書です。一生でどれだけ本を書けるか、死ぬ前に全集が出せるか、という世界です。論文出版も重要ですが、人社系にはNatureやScienceのような有名雑誌はなく、発信力の弱い小規模の出版媒体がほとんどです。サイエンスでは研究成果をなるべくはやく発表して多くの人に共有し、それを元に他の研究者が多くの追従研究をして論文を発表し、そこから応用研究が発展して新しい技術につなげる、という大きな研究の流れがあります。人文社会学系ではその代わりに、一人の研究者が本に書いたたった一つの文章が、世の中の人の世界観を一瞬にして変えてしまうということが起こり得ます。 短期的に情報を広める勝負をしていない、という意味では人文社会学の研究の性質はF1000Researchのもつスピード感とは真逆のものです。しかし一方で、「アイディア勝負の世界」という意味では発想が同じなのです。僕たちは「これで世界が変えられるかもしれない」という知識があったら、それを雑誌の編集審査や査読を通さずすぐさま発信できるわけです。さらに研究データベースにもインデックスされる。これはある意味知識の大革命なのです。 ジャーナルはいわば専門ブティックのようなものです。読者はそのブティックを信用して論文を買う。著者は自分の論文はこのお店に合うので置いてくださいと頼みにいく。専門ブティックにはそれぞれルールやしきたり、そして格調がありますから、審査を受けて「これはうちのブランドにあうね」という論文は採用するし、そうでないものはリジェクトするわけです。 でも、F1000Researchは「とにかくどんな論文でも持って来てください」と言うわけです。審査がない、まさに国境も、言語も、分野の壁をとっぱらった、純粋な知識共有のための場所をつくった。その場所では、もう研究者は作品で勝負するしかないわけです。作品をそのまま何の審査もせず世に発表して、見た人の多くが「これはいいものだね」と認めてくれれば、そこに価値が生まれる。権威ある専門ブティックが選んだ論文だからすごいのではなくて、作品自体がいいものであって始めて評価がついてくる。これは、すごいことです。評価するのはジャーナルではなく、読者であって、オープンアクセスですからその読者は研究者である必要もなく、誰でもありうるわけです。  ...

レベッカに聞いてみた!F1000Researchの仕組みってどうなってるの?

Q1. F1000Researchではどれくらいのスピードで出版できますか? A1. わずか14日間で論文を出版できます。編集や出版前の査読がないので、出版が遅れたり中止になったりすることはありません。F1000Researchに論文が投稿されると、剽窃や倫理規定、読みやすさ、所属機関などについて、客観的に厳しくチェックします。著者がデータを整理したり、形式を整えたりするサポートも行います。出版が完了したら、査読者を見つけてF1000Researchのプラットフォーム上でオープンな査読が行われるようにします。   Q2. F1000Researchとはなんですか?これはプレプリント・サーバーですか?それともジャーナルでしょうか? A2. 両方とも言えますし、どちらとも違うものとも言えます。私たちは「オープンリサーチ・プラットフォーム」と呼んでいます。プレプリントのコンセプトは、論文をジャーナルへ投稿する前にサーバーへ上げる、というものです。しかしF1000Researchで論文を出版すれば、それ自体が出版とみなされます。つまり、もう他のジャーナルへ投稿する必要はないのです。また、ジャーナルと異なる点は、F1000Researchで出版された論文はオープンな査読が可能になるところです。そして論文が査読されると、ScopusやPubMed、MEDLINEなどの書誌情報データベースにインデックスされます。   Q3. 論文掲載の採否を決定する編集者がいるのですか? A3. 編集者はいません。完全に著者主導型のシステムです。これが従来の出版社との重要な違いです。最初の客観的なチェックを通過した論文はすべて出版されます。査読後、ひとりの意見がコミュニティの代表となってその論文の出版の可否や、その論文が査読で「合格」したかが決まる、ということにはならないようにしています。決めるのは著者なのです。査読結果に対して、いつ、どのように回答するのか、査読者のコメントを反映してバージョンをアップデートするのかを、著者の都合で決めるのです。 [caption...

伝統を脱ぎ捨てる──オープンサイエンスの脅威にさらされるエルゼビアは、いかにして研究者に全面型のソリューションを提供するプラットフォームへと進化したか

過去10年間、多くの主要な学術出版社が自社への再投資を行ってきた。1990年代に出現したオープンサイエンス・ムーブメントは、時として学術出版社には脅威に映った。しかし現在でも、研究のエコシステムにおいて出版社が重要な役割を果たしていることは明らかだ。出版社はビジネスのチャンスを拡大させると同時に、自らの役割をもさらに進化させてきている。 エルゼビア社のローラ・ハシンク氏(パブリッシング・トランスフォーメーション部門シニア・バイス・プレジデント)にインタビューし、世界最大の出版社が変わりゆく情勢にどのように対応しているのか尋ねた。   研究者に全面型のソリューションを提供するために オープンサイエンスとの関連から、学術出版社は商業主義的であるという批判を浴びることが多い。しかし、19世紀以降、出版社と学術コミュニティが互恵的な関係を享受してきたことは忘れられない。今日でも、毎年30,000誌ものジャーナルが発行され、200万本の論文が掲載されている。研究論文に求められるクオリティを確保したうえで、そのような膨大な量を出版するには、大手出版社によって何世紀にもわたりつくりあげられたインフラがなければ不可能だったであろう。科学とテクノロジーの歴史について議論するとき、プラットフォーム革新の話を無視するわけにはいかない。そして現在、革新的なプラットフォームを構築するためには最新技術への莫大な投資が必要で、その点で営利企業による投資の恩恵は大きい。 世界最大の出版社であるエルゼビアは、「学術出版社」から「グローバルな情報分析企業」へと進化してきた。ScopusやSciValといったサービスが研究機関の経営層や図書館の興味を惹く一方で、研究者が非常に重要な顧客であることにかわりない。エルゼビアは研究のエコシステムのなかで、研究者にあらゆる領域のソリューションを提供する立場へと急速に変貌しつつある。 ローラはF1000Researchと筑波大学が最近、パートナーシップ協定を結んだことに興味をもっており、そのような研究のエコシステムを改善するための取り組みを歓迎している。「この協定によってどのような経験が得られ、科学コミュニティと私たちのような出版社がそこから何を学べるのか、新たな知見を得られるのを楽しみにしています。もっとも重要なのは、研究成果のクオリティを維持し、科学と健康を発展させることです。今後の変革のための実験的なモデルケースとして、この取り組みの成果を皆で共有すべきでしょう」とローラは言う。 また、「私たちは、出版のモデルやプロセス、慣例を改善するために絶えず努力を続けています。顧客のニーズの変化に対応したいのです。今日の研究のエコシステムでは、資金提供者・大学・政府の果たす役割は変化しています。だから私たち出版社もその変化に適応し、より良いプラットフォームを提供してサイエンスの様々なステークホルダーをサポートし続ける必要があると感じています。私たちのゴールは、長年の課題を解決するために現代テクノロジーを活用して、より良い、より多くのオプションを提供することなのです」とも言う。   積年の課題を解決するために 査読の透明性と出版スピード、購読コストはかねてからの課題である。学術コミュニティはあまり注目してこなかったかもしれないが、出版社は最適な解決策をみつけようと協力してきた。商業出版社にとって、これらの課題に取り組むことは自社の利益に反するように思われるかもしれない(たとえば、論文をオープンアクセスで入手可能にすることは、出版社が「購読料」という金の卵を手放すことを意味する)。しかし、これらの課題に取り組むことで、出版社は研究者とつながろうとしているのだ。 以下に、エルゼビアが長年の出版課題にどのように取り組んでいるかを示す。   課題 エルゼビアの近年の取り組み...

コロナ禍で加速化するプレプリント文化と、 その先を見据える筑波大学の心意気

新型コロナウイルス感染症が全世界で猛威を振るいだした2020年4月中旬頃から、同ウイルスに関する論文が大量に出始めました。学術論文は余程の大発見でない限り新聞の一面を飾る事はありませんが、全人類が直面したパンデミックに1日でも早く打ち勝とうと、連日コロナウイルスに関する科学記事が掲載されていました。しかし記事のくだりを読むと「可能性がある」「効くかもしれない」という非常に曖昧な表現であるか、あまりにも「Xがコロナに効く!」と断言した疑わしい記事も中には多く出回っていました。この動きをいち早く感知した研究者たちはSNSで盛んにそれらの記事に対する注意喚起を行っていました。なぜこんな現象が起きたのでしょうか? 通常、研究者が自身の研究成果を発表する際は論文を書きジャーナルへ投稿します。ジャーナルは論文内容を吟味して掲載する価値があると判断すると、出版に向けて動きますが、そのプロセスには平均で数ヶ月から半年以上かかると言われています。しかしコロナ禍において新しい発見を知るまでに半年以上を待たされたら、いつまで経ってもウイルスに打ち勝つことはできません。研究成果が出たら1日でも早く世に出したいと思うのが普通ですが、通常のジャーナルに投稿したらどう頑張っても1週間以内で論文掲載されることはありません。 そこで論文ができたらジャーナルに投稿せず、プレプリントサーバーに掲載してすぐに公開しようという動きが盛んになり、プレプリントサーバーに大量の新型コロナウイルス に関する論文が世界中から掲載される状況が起きたのです。ただし、これらの論文は専門家による査読を受けていないため、研究の科学的な信頼性や妥当性が定かでない状態です。それを科学に疎いマスコミが取り上げ、「XがYに有効である可能性がある」と半ば断言して書いてしまうケースが散見されたのです。研究者は、査読を受けていない論文を新聞で取り上げることの危険性を指摘していたわけです。 そんな折、同年5月終わりにこの問題に新しい角度から切り込んだニュースが舞い込んできました。筑波大学がF1000Researchのオープンリサーチ出版ゲートウェイを導入するというのです。新しく開発するプラットフォームはプレプリントを進化させた出版後査読システムを採用しており、論文を即座に公開することでスピードを確保し、出版後に公開で査読を行うことでマスコミや他の研究者が研究の科学的価値を判断する材料を提供できる。さらに、著者が出版言語を英語か日本語で選べるようになるというのです。なんてタイムリーな話題でしょうか。 一方で、私の頭の中は疑問でいっぱいでした。「日本の国立大学にどうやってこんな斬新な提携ができたのだろう」「なぜ数ある大学の中で筑波大学が?」「日本語でも英語でも出版OKってどういうことだ?」これは取材依頼をするしかない!と思いすぐに筑波大学に連絡を取りました。取材の結果わかったのは、F1000Researchを導入したこの独自の出版ゲートウェイの開発は、永田学長の経営哲学と、筑波大学の理念を共有する執行部の皆さんの問題意識と思いが結実したプロジェクトであったということです。 永田学長はその経営手腕が有名で、一度お話を聞いてみたいと思っていました。当初抱いていた勝手なイメージで「このプロジェクトはきっと学長のトップダウンで推進されたのだろう」と思い込んでいたのですが、お話を聞いて私の想像が的外れであることがわかりました。むしろ、アイディアをボトムアップで醸成してF1000Researchと交渉し、部局の方々との合意を取り、学長決済まで積み上げたのは執行部の方々でした。永田学長の新しいことに挑戦したい人々を応援し後押しするのが経営者の役割であるという考えを聞き、これが今の大学、あるいは企業経営においても必要な哲学なのだろうと思いました。「そんなの上手く行くの?」「失敗したらどうする?」「誰が責任を取るんだ?」とできない理由をあげるのではなく、「やってみよう、責任は私が取るから」と言ってくれるトップがいれば、現場は燃えますよね。 筑波大学の新しい動きは、これまでの学術情報流通に一石を投じた動きである点、積極的な動きをしている中国ではなく日本の国立大学がリードをとった点、英語一辺倒の論文出版に日本語という要素を入れた点、どれを見ても学術業界の片隅にいる者として大変な関心を持って見ています。そしてこの動きを受けて将来本当に学術出版の在り方が変わったら、歴史の始まりを捉えた雑誌として私たちの特集に注目が集まることを期待しています! 世の中のありとあらゆるものがオープンになりつつある時代。これはある種自然の動きだとは思いますが、これまでの学術出版業界の改革は遅々としたものでした。しかし新型コロナウイルス 感染症が一つの後押しとなり、この先の数年間で、F1000Researchや大学・研究機関など、これまでとは全く違ったプレーヤーが学術情報流通の分野で台頭する新時代がくるかもしれません。新しいことに慎重な日本の国立大学の中で、筑波大学がリスクを負って果敢に挑戦する姿を見て、大きな光を見た気がしました。この先の変化を楽しみに見届けたいと思います。

伝統的な学術出版社の最新トレンド

学術ジャーナルを積極的に買収し始めた1960~70年代以降、学術出版社は科学情報の門番としての役割を果たしてきた。今や世界には推定30,000点もの学術ジャーナルが存在し、それらを2,000以上の出版社が運営している。 2010年、最大手の商業出版社であるElsevierの科学系出版ユニットの利益幅が36%に達したと報じられた。これはその年のAppleやGoogle、Amazonよりも高い。250億米ドルにも届く収入をほこる商業学術出版は、きわめて利益率の高い産業なのだ。しかも、この傾向がずっと昔から続いてきている。 インターネット時代が到来し、あらゆる情報が無料で手に入るようになった。オープンアクセス・ムーブメントにより旧来の出版モデルは崩壊の危機に瀕している。それでも、商業出版はかわらず高い利益率を維持している。 学術出版業界の稼ぎ頭は科学論文だ。従来の購読モデルでは、出版社が所有するジャーナルの論文にアクセスするために読者が手数料を払う。しかし今日では、ほぼすべてのジャーナルがオープンアクセスになりつつある(完全にオープンアクセス化されているジャーナルもあれば、著者がオープンアクセスにするかを選べるものある)。Elsevierは、所有する2,500のジャーナルのうち2,300点以上で、研究者自身が投稿論文を無料で公開する権利を認めている。 2000年代初期、オープンアクセス・ムーブメントが重要性を増してきた。税金に支えられた研究、つまり政府の助成をうけている研究は無料で一般に公開されるべきだと考えられ始めたのだ。ヨーロッパにおけるPlanSや南米におけるSciELOなどの主要出資者のグループから、無料で研究成果にアクセスできるようにすべきだとの声が高まった。 オープンアクセスは出版社の間で長らく議論の的であり、質の高い研究成果に無料でアクセスできるようになると、自分たちのビジネスが成り立たなくなるだろうと当初は考えられていた。しかし、今や多くの出版社がオープンアクセスを積極的に推進している。なぜ、出版社はオープンアクセスに反対する立場から、受け入れる立場へと舵を切ったのだろうか。そして、どのようにしてオープンアクセスを成功モデルへとつくりかえたのだろうか。いくつかの要因を見ていこう。   勝てない敵は味方にする 「オープンアクセスの脅威を生き抜き自分たちのプレゼンスを保つためには、その変化に適応するのが唯一の方法だ」と出版社自身が気づいたと言っても過言ではないだろう。そして実際、彼らは適応を遂げた。 多くのジャーナルは「購読モデル」から「著者支払いモデル」へと切り替えた。つまり、読者は論文を読むために料金を支払う必要がなくなり、他方、自分の論文をオープンアクセス化する研究者が掲載料金を負担するようになったのだ。また、出版社はオープンアクセス化に際して、様々な選択肢も提示している。たとえば、著者が自分で論文を公開するグリーン方式か、出版社が所有するオープンアクセス・ジャーナルに投稿するゴールド方式か。あるいは、オープンアクセス版のみのジャーナルか、従来の購読モデルとオープンアクセスを併用するハイブリッド型か、などの選択肢が用意されているのだ。 出版社によるオープンアクセスへの取り組みは、さまざまな段階で見られる。SAGE Publications や Springer Nature、Taylor...

F1000Researchは17世紀型出版の伝統を打ち破るか?
学術出版の歴史を紐解き、学術出版の未来ヴィジョンを覗き見

筑波大学がF1000Researchとオープンリサーチ出版ゲートウェイを開発するに至った真の意味を理解するためには、学術出版の歴史と、現在この業界が抱えている様々な課題をおさえておく必要がある。学術情報流通テクノロジーの日本における第一人者で、日本の科学技術政策において未来を見据えたオープンサイエンス・ポリシーの整備と実践に携わる、文科省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の科学技術予測センター上席研究官、林和弘氏に、F1000Researchの立ち位置と学術出版の未来ヴィジョンを解説していただいた。   17世紀:手紙からジャーナルへ F1000Researchが何であり、学術情報流通の歴史の中でどういう意味を持つプラットフォームなのかを説明するためには、学術ジャーナルの歴史をざっくり知っておく必要があるでしょう。とはいえ、全ての歴史を網羅するにはとても誌面が足りないので、ごく一部だけ端折ってご説明します。 現代の学術ジャーナルの歴史は17世紀に遡ります。世界最古のジャーナルの一つは1665年にイギリスで創刊されたPhilosophical Transactionsで、同時期にフランスやイタリアでも似たような学術雑誌が発明されました。それ以前は、研究の発表手段と言ったら本しかありませんでしたが、本の出版には時間がかかる。当時の研究者は自分の新発見を誰よりも速く記録に残して「この発見は自分のものだ!」と人に伝えるために、他の研究者に手紙(レター)を書いて送り合っていました。でも手紙は一人の相手にしか読まれないので沢山送らないといけない。ならば手紙を一か所に集めてまとめて出版すればいいじゃないか、ということでジャーナルが生まれたわけです。今でも研究速報を伝えるジャーナル記事は「レター」とか「コミュニケーション」と呼ばれますよね。 すると今度はジャーナルに掲載した発見の質の良し悪しをどうやって見極めるかが問題になりました。それなら同じ分野の別の研究者が出版前にチェックすればいいじゃないかということでピアレビューという仕組みが発明され、研究の手続きや科学的妥当性が一定の基準を満たし、かつ学術的価値の高い情報のみを掲載するというジャーナル文化が生まれました。価値の高い希少な情報はビジネスになります。やがて商業出版社が登場し、学術コミュニティの活動を肩代わりする形で,徐々に学術出版をビジネス化するようになりました。 つまり学術出版の歴史は「発見をとにかく速く正確に、より多くの人に届けたい」という研究者の欲望をいかにテクノロジーが支えて最適化し、コンテンツの価値を高めて商業化してきたかの歴史なのです。しかし17世紀から20世紀に至るまで、このイノベーションは製紙と印刷、郵送技術の発展の範疇にとどまっていました。 次の本格的なパラダイムシフトはジャーナルの誕生から約330年後、1990年代にインターネットを通じた情報流通が大学で本格化することで始まりました。そして私たちは、紙と郵送を元にした情報流通インフラから、全く新しいオンライン・プラットフォームに代替されていくまさに過渡期の入り口、黎明期を生きています。1990年代から2020年代までの30年で起きたことをギュッと解説してみましょう。 1990年〜2000年代 :電子ジャーナルとプレプリント、OAの時代 「電子ジャーナル」の最初は何かというのは実は結構難しいのですが、今の電子ジャーナルサービスの原型ともいえるhtmlによる全文サービスを開始したという意味では1995年にJournal of Biological Chemistryが電子化され,全文サービスが提供され始めました。その後の10年ほどでそれまで紙の雑誌で発行していたジャーナルの電子化が一気に進みました。デジタル化が進むと紙媒体や郵送にあった物理的な制約が取り払われ、インターネットを介して膨大な論文情報に誰もがアクセスできるスケールメリットが生まれました。当時それに目をつけた商業出版社は、出版社が著作権を持つすべてのタイトルにアクセスできる包括的パッケージ契約モデル、...

研究には終わりも無駄もない──つねに進化する、生きた学術出版エコシステムをつくる

F1000Researchとの提携について筑波大学の職員から話を聴くと、誰もがマネージング・ディレクター、レベッカ・ローレンスの魅力的を語る。「彼女のヴィジョンと素敵な笑顔は、明るい未来を確信させてくれるんですよね」、と多くの人が口をそろえるのだ。大学側のニーズを理解し、今回の提携を実現させたレベッカの手腕には疑いの余地がない。キーパーソンであるレベッカが、従来の出版モデルからの脱却に向ける熱意と学術出版の未来への自身のヴィジョン、そして筑波大学との提携と、最近起きたTaylor & Francisによる買収についての裏話を明かしてくれた。   F1000とその哲学 F1000はヴィテック・トラーツが2002年に創立した会社です。もともとはFaculty of 1000という名前で、当初は生物医学分野の1000人の研究者が出版された膨大な論文の中から注目すべき研究を推薦するサービスを提供していました。ヴィテックは「オープンアクセスの父」として広く知られている人物です。過去にはCurrent Opinion誌の創刊に携わり、出版社であるBioMed Centralを創設しました。Current Opinion誌ではその年の主要な研究テーマを研究者が総合的にレビューして、影響力の大きい論文を公表するという実験的な試みをしていました。他方、BioMed Centralはオープンアクセス出版の草分け的存在です。どちらの取り組みも当時の学術出版の先端をいくもので、より良い学術システムへと変革を目指すものでした。 F1000の創設も同じ流れにあります。2000年になる頃には世界の論文数が跳ね上がり、数多くの論文のなかから読者が価値の高い研究を見つけるのが難しくなっていました。また、学術雑誌の影響度を指すジャーナル・インパクトファクターが、研究成果の質を示す唯一の指標として捉えられるようになっていました。F1000はこのインパクトファクター至上主義に一石を投じ、たとえ影響力のあるジャーナルには掲載されていなくても質の高い研究に光を当てることを目指したのです。 ヴィテックのヴィジョンに刺激を受けて、私は2009年にF1000へ入社しました。前職では製薬業界に対して出版に関するソリューションを提供する仕事をしていました。通常、製薬に関わる最新の研究成果は主要な学会でポスター発表されます。製薬業界は最新の発見に常に目を光らせており、様々な学会でポスター発表を見るのに膨大な時間とお金を投資しています。学会で発表される研究の大部分は出版されませんので、学会に出席できなければ、その後は二度とその研究成果にアクセスすることができないことがほとんどだからです。 このような状況を受けて、2010年にヴィテックと私はF1000Postersを創設しました。研究者が学会でのポスターやスライドを広く自由に共有できるようにしたのです。これが2013年にF1000Researchとなり、F1000の革新的なオープンリサーチ出版部門として、即時出版と透明性の高い査読過程を提供しています。...

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