伝統を脱ぎ捨てる──オープンサイエンスの脅威にさらされるエルゼビアは、いかにして研究者に全面型のソリューションを提供するプラットフォームへと進化したか
Text by blank:a Editorial Department

過去10年間、多くの主要な学術出版社が自社への再投資を行ってきた。1990年代に出現したオープンサイエンス・ムーブメントは、時として学術出版社には脅威に映った。しかし現在でも、研究のエコシステムにおいて出版社が重要な役割を果たしていることは明らかだ。出版社はビジネスのチャンスを拡大させると同時に、自らの役割をもさらに進化させてきている。

エルゼビア社のローラ・ハシンク氏(パブリッシング・トランスフォーメーション部門シニア・バイス・プレジデント)にインタビューし、世界最大の出版社が変わりゆく情勢にどのように対応しているのか尋ねた。


 

研究者に全面型のソリューションを提供するために

オープンサイエンスとの関連から、学術出版社は商業主義的であるという批判を浴びることが多い。しかし、19世紀以降、出版社と学術コミュニティが互恵的な関係を享受してきたことは忘れられない。今日でも、毎年30,000誌ものジャーナルが発行され、200万本の論文が掲載されている。研究論文に求められるクオリティを確保したうえで、そのような膨大な量を出版するには、大手出版社によって何世紀にもわたりつくりあげられたインフラがなければ不可能だったであろう。科学とテクノロジーの歴史について議論するとき、プラットフォーム革新の話を無視するわけにはいかない。そして現在、革新的なプラットフォームを構築するためには最新技術への莫大な投資が必要で、その点で営利企業による投資の恩恵は大きい。

世界最大の出版社であるエルゼビアは、「学術出版社」から「グローバルな情報分析企業」へと進化してきた。ScopusやSciValといったサービスが研究機関の経営層や図書館の興味を惹く一方で、研究者が非常に重要な顧客であることにかわりない。エルゼビアは研究のエコシステムのなかで、研究者にあらゆる領域のソリューションを提供する立場へと急速に変貌しつつある。

ローラはF1000Researchと筑波大学が最近、パートナーシップ協定を結んだことに興味をもっており、そのような研究のエコシステムを改善するための取り組みを歓迎している。「この協定によってどのような経験が得られ、科学コミュニティと私たちのような出版社がそこから何を学べるのか、新たな知見を得られるのを楽しみにしています。もっとも重要なのは、研究成果のクオリティを維持し、科学と健康を発展させることです。今後の変革のための実験的なモデルケースとして、この取り組みの成果を皆で共有すべきでしょう」とローラは言う。

また、「私たちは、出版のモデルやプロセス、慣例を改善するために絶えず努力を続けています。顧客のニーズの変化に対応したいのです。今日の研究のエコシステムでは、資金提供者・大学・政府の果たす役割は変化しています。だから私たち出版社もその変化に適応し、より良いプラットフォームを提供してサイエンスの様々なステークホルダーをサポートし続ける必要があると感じています。私たちのゴールは、長年の課題を解決するために現代テクノロジーを活用して、より良い、より多くのオプションを提供することなのです」とも言う。

 

積年の課題を解決するために

査読の透明性と出版スピード、購読コストはかねてからの課題である。学術コミュニティはあまり注目してこなかったかもしれないが、出版社は最適な解決策をみつけようと協力してきた。商業出版社にとって、これらの課題に取り組むことは自社の利益に反するように思われるかもしれない(たとえば、論文をオープンアクセスで入手可能にすることは、出版社が「購読料」という金の卵を手放すことを意味する)。しかし、これらの課題に取り組むことで、出版社は研究者とつながろうとしているのだ。

以下に、エルゼビアが長年の出版課題にどのように取り組んでいるかを示す。

 

課題 エルゼビアの近年の取り組み
査読の透明性
  • バイアスをなくすために査読者も著者も互いに匿名で審査する体制を整える
  • 著者の権利問題を解決するために「CRediT」を使用する
  • 査読状況をリアルタイムでアップデートする
出版スピード
  • 編集過程を高速化するためのツール
    • Celonis:ジャーナルごとに査読の遅れを可視化するためのプロセス・マイニング・ツール
    • Reviewer Recommender:編集者が、自分の人脈を超えて適切な査読者を見つけるためのツール
    • Manuscript Dashboard:編集者が、提出された論文が査読に値するかを迅速に見極めるためのツール
購読コスト
  • 資金提供者や世界中の諸機関と密に連携し、著者の同意を得て論文をオープンアクセスにする

 

「エルゼビアでは、ジャーナルの査読過程をより透明化するための取り組みを続けています」とローラは言う。「2013年以降、エルゼビアは各ジャーナルの査読にかかる時間とアクセプト率を公表していますし、投稿のためのガイダンスを常にアップデートしています。編集過程を改善するために、最新のテクノロジーを用いたツールにも投資しています。また、査読の透明性と同様に、著者の権利の透明性を上げることも重要です。最近、多くのジャーナルで「CRediT(Contributor Roles Taxonomy)」という機能を開始しました。この機能を用いると、著者がその論文においてどのような貢献をしたか、多様な情報を正確かつ詳細に登録できるのです。」

エルゼビアはテクノロジーとリソースの両方に投資することで出版スピードの課題にも取り組んでいる。「社内の出版担当者はそれぞれのジャーナルの編集者と協力して、出版過程を最適化しています。多くの場合、アクセプトされた論文は受理されて数日のうちにオンラインで初版を発行します」とローラは言う。「編集者と査読者の仕事をやりやすくするためのツール」にも莫大な投資を行っています。これらのツールを使えば、編集者や査読者はScienceDirectやScopusのデータベースから共著者や関連する文献、引用データなどを簡単に見つけることができるのです。」

ジャーナルの購読コストが膨れ上がる現象──「シリアルズ・クライシス(定期刊行物危機)」と呼ばれている──と、BOAIやPlan Sといったオープンアクセス・ムーブメントにより、エルゼビアは情勢の変化への対応を求められている。

ローラはこう説明する。「エルゼビアは購読とオープンアクセスの両方をサポートしています。アクセス方法を最適化して、組織と個人、それぞれの顧客のニーズに沿ったアクセス方法を提供できるよう取り組んでいます。たとえば、今年の初め頃、わが社はオランダの研究機関と新しいパートナーシップ協定を結びました。その協定には、出版及び購読のサービスに加え、研究成果を評価・普及するためのオープンサイエンスのサービスを共同で開発することも含まれています。また、エルゼビアが発行するジャーナルの90%以上がオープンアクセス化されており、論文は恒久的に入手可能です。すべてのジャーナルがグリーン・オープンアクセス(訳注:ジャーナルに掲載された論文を著者自身がウェブサイトで公開すること)の権利を無料で認めています。毎年、購読用のジャーナルに掲載された45,000本以上の論文が、グリーン・オープンアクセスで入手可能となっています。これは他の出版社に勝る数です。」

またローラはこう付け加える。「出版に関するオプションやそれに伴うコストについて、著者にはっきりとした情報を提供することも重要だと考えています。それには、たとえば著者が所属する研究機関がオープンアクセス出版に同意しているか、ということも関連します。出版コストを主に負担しているのは研究機関ですから。つまり、論文の投稿過程で著者のエクスペリエンスを向上させるために莫大な投資を行っているのです。」

筑波大学は、人文学分野の研究成果が現地言語で出版され、論文データベースにインデックスされて評価されることの必要性を主張している。それについてローラは、「エルゼビアは人文学分野のジャーナルは非常に少なく、どちらかといえば社会科学に関連したジャーナル・タイトルが多くなっています。場合によっては、人文学の論文が社会科学に分類されることもあるかもしれません」と答える。「全体的に見て、現地言語での出版要請は新たにはきていません。数年前、特にスペイン語での出版を望む声はありましたが、最近はありません。だから、他の分野への投資を優先しているのです。」

 

研究エコシステムのためのワン・ストップ・ショップへ

F1000Researchは今年、Taylor & Francis Groupに統合された。それにより、F1000Researchに論文を投稿する研究者はTaylor & Francisが発行するジャーナルに論文を掲載するオプションも選べるようになった。他方、エルゼビアは2016年にプレプリント(査読前の論文)をオープンアクセス出版するSSRNを、2018年にはスピーディな出版のためのワークフローを提供するAries Systemsを子会社化した。SSRNの提供する「ジャーナルそっくりの」アブストラクト・ページは定評を得ており、F1000Researchと同様、研究者コミュニティのために多くのプレプリントを収集している。

今日、出版形態の多様化とデジタル化の波が押しよせるなか、主要出版社と新進のプラットフォーム開発企業は共働の道を探る必要がある。

ローラは、サイエンス・コミュニティにおいて研究成果を早い段階で共有することに大きなニーズがあると考える。新型コロナウィルスの感染拡大により世界中の研究者がワクチンや治療法を見つけるために共働研究を進める現在、そのニーズはさらに明確になってきている。SSRNのようなプレプリント・サービスは、この点で重要な役割を果たす。

SSRNはAries Systemと連携して、論文投稿を受け入れる。ローラによると、「SSRNの提供するプラットフォームでは、研究が時間とともに進化することが可能です。オンラインで改訂稿を出し、それぞれのバージョン(議事録、調査報告書、本のチャプターなど)をひとつのグループに集めることで、進行中の研究についてより広い観点をつくりあげるのです。SSRNは、アイデア段階から調査報告書、プレプリント、修正バージョンまで、研究のあらゆる段階をサポートします」。このようなサービスを通して、研究者が互いの成果を共有し、つながりを築き上げるようになるとローラは信じている。

また、SSRNは異なるアイデアの相互交流も促進する。投稿された論文は、SSRNのスタッフによって50以上の研究ネットワークのなかで異なる分野にもキュレーションされる。それにより、研究者は自分の専門分野以外の分野で投稿された論文も見ることができる。SSRN上には、研究成果を共有するための何千ものオンラインコミュニティが存在するのだ。

エルゼビアが著者と出版者のコラボレーションを促進するエコシステムをつくりあげようとしていることは明らかだ。たとえば、SSRNと世界のトップレベルのジャーナルが提携するFirst Lookでは、出版に先立って論文をいち早く、迅速にオープンアクセス化する。著者はジャーナルに論文を提出するときに、First Lookに掲載するかを選ぶことができる。論文のプレプリントはSSRNへ送られ、SSRN上のFirst Lookページに掲載される。論文をFirst Lookに掲載すると、SSRNの幅広いサービスによって多くの研究者から発見されやすくなり、研究の発展につながるとローラは言う。

今、エルゼビアは出版のその先を行く。研究エコシステムのステークホルダーのニーズの変化と、オープンアクセスのような新たなトレンドの出現により、進化を遂げたのだ。

学術出版の伝統システムを大幅に現代化し、改善することは容易ではない。また、伝統を壊すためには、テクノロジーやシステム、プロセスへの莫大な投資が必要とされる。しかし、それに携わる誰もがデジタル時代を歓迎し、その恩恵を受けようと前向きに取り組んでいるようだ。

 

参照リンク
1. https://www.elsevier.com/connect/transparency-the-key-to-trust-in-peer-review
2. https://www.elsevier.com/connect/reviewers-update/peer-review-using-todays-technology
3. https://www.elsevier.com/connect/editors-update/editor-time-savers

 


ローラ・ハシンク(LAURA HASSINK)プロフィール

エルゼビア社パブリッシング・トランスフォーメーション部門にてシニア・バイス・プレジデントを努める。データ駆動型の意思決定と反復的な製品管理の原則を組み込むことによる、出版プロセスと主要な組織変革を担当する。1997年にエルゼビア社に入社し、現在の職務に就くまでは出版、戦略、オンラインプロダクトの開発部門にてマネジメントを経験したのち、現在の職務に就く。 ヨーロッパ・米国、アジアの複数の拠点で170名あまりのチームを率いている。

This post is also available in: EN (英語)

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