東北メディカル・メガバンク機構の
広報にかける東北魂

 

東北大学 東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)は、大規模なコホート研究を実施することにより、東日本大震災の被災地を含む地域の方々の健康調査を目的として設立された。

その目的の独自性から、ToMMoは、地域住民であり、被災者でもあるステークホルダー間での研究コミュニケーションとブランディングに重点を置き、医療情報を共有することの重要性を促進している。

本特集では、震災後の東北メディカル・メガバンク機構(ToMMo)設立の物語と、研究広報チームの成功と今後の課題を取り上げる。

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その男、魔術師につき

その男はサイエンスアゴラを立ち上げ、日本のサイエンスコミュニケーションの礎を築いた研究広報の魔術師、長神風二(ながみ・ふうじ)。研究の面白さを伝えることを生業としてきた広報のプロが、震災を超えて行き着いた場所とは。 東北大学 東北メディカル・メガバンク機構 特任教授(広報担当) 広報戦略室 室長 長神風二(ながみ・ふうじ)氏 インタビュー 聞き手 湯浅誠   サイエンスアゴラから東北大学へ。サイエンスコミュニケーションのプロになるまで。 湯浅 長神さんはJSTの大規模事業である「サイエンスアゴラ」の生みの親です。現在は東北大学の東北メディカル・メガバンク機構の広報戦略室ですが、サイエンスコミュニケーターとしての道を歩まれたきっかけってなんだったんでしょう? 長神 僕は、東大の大学院を満期まで行って卒業せずに飛び出しちゃったんですよ。研究者になろうと大学院に入ってみたけれど、新しいテーマを見つけて自分自身が研究をするよりも、研究について語り合ったり伝える会を主催するほうがずっと向いていることに気づいた。だから研究の面白さを伝える仕事が僕が生きる道なんじゃないかと思って、当時新しくできた日本科学未来館に就職しました。その頃の僕は「サイエンスコミュニケーション」なんて言葉すら知らず、ただ仕事が面白くてたまらなかったんですが、いつの間にか「あいつがやってることが日本におけるサイエンスコミュニケーションだ」と言ってくれる方々が出てきたんです。 サイエンスアゴラを立ち上げて2年弱担当しました。何か新しいことをしたいと思った時に、東北大学の大隅典子先生から東北大学の医学部の新しい脳科学のプロジェクトで広報を立ち上げるので来ないかとお声かけいただきました。   震災に立ち会った者としての、身の置き方。 湯浅 東北大学に移られたのが2008年で、その3年後の2011年に東日本大震災が起きました。 長神 11年の3月に震災があった時、僕ら広報室は東北大学医学部の公式Twitterで震災の翌日から発信することができました。学術系では最速だったと思います。震災が起きるとね、ウェブサイトもメールも全部止まってしまうんですよ。でもTwitterは災害時でも生きていたんです。状況が落ち着いて復興について考えなければならなくなった時に、教授や准教授たちにアイディアを募集して、東北メディカル・メガバンク機構の構想が出来上がり、僕も立ち上げに関わることになりました。 湯浅 震災は長神さんの人生にもお仕事にもかなりインパクトがあったんじゃないでしょうか? 長神 それはそうです。復興をどう成し遂げるのか、復興における大学の役割というものを考えるとき、大学っていうのはそもそも人材育成と研究をするところだから、時間がかかる。復興にも膨大な時間かかる。その解として「コホート調査」というプロジェクトを立ち上げた時、5年、10年、それ以上の時間軸でものを考えるようになり、これは自分の時間をかけて取り組む価値があると考えました。東北大学にたまたまいて、震災に立ち会ってしまった者としての身の置き方というものに繋がると思います。...

「アカデミアの論理」を壊し、創れ。 〜東北メディカル・メガバンク機構の研究広報DNA〜

東日本大震災からの復興を目的に設立された東北メディカル・メガバンク機構。 県民を対象とした15万人のコホート研究というテーマがあるからこそ辿り着いた徹底した研究広報戦略を牽引するリーダーの経営哲学とは?     ー東日本大震災を経て、東北大学東北メディカル・メガバンク機構が設立されました。設立までの経緯はー。 それは一晩語っても語りつくせない長い話なので、きっかけだけを話します。3.11の後、最初の2週間は食べるものも、ガソリンも、水道もガスも足りなくて、本当に、毎日、構成員の安否確認や沿岸部などへの支援など、「生き延びる」活動でした。2週間ほど経って「復興しなければ」という意識になった時、じゃあ「復興」ってなんだろう?と考えたのです。復興とは、壊れたものを元に戻すとか、倒れた本棚を立て直すことだけじゃない。これだけ傷ついてしまった東北大学と東北地方が、以前にもまして元気になるような復興をやらなきゃ駄目だと思いました。 震災当時、今の東北大学の里見総長は東北大学病院の病院長でした。里見先生は2011年3月から4月の間、太平洋沿岸部など県内各地から病院に紹介されてくる患者は一人も断ってはいけないという大号令をかけました。里見先生は、大学病院は地域の中核として死力を尽くして被災地の医療を支えるから、研究科長の山本は研究の方で新しいことをやって復興を支えろという趣旨のことをおっしゃっていました。だから世界の最先端を切り開くような研究拠点を東北に作り上げて、それを核にして復興を成し遂げようと心に決めたのが設立のきっかけでした。 私が医学部長になったのが2008年の4月ですが、医学部の運営は旧態依然としていて、いわゆる「委員会」を中心に組織が動いていました。「委員会」は、ある意味で動かない組織の代表なのです。これじゃいかんと思って、基盤的な業務は責任を持った人がきちんと動ける「室」にしようと思いました。そこで最初に作ったいくつかの室の1つが、「広報室」だったのです。大学の広報について語るときには、大学とはそもそもどういう存在なのかをよく考えてみる必要があると思います。日本の国立大学には21世紀の文明を世界に発信するための開かれた窓口としての役目がある。広報はある意味では大学の1番中心的な使命の1つです。 さらに、東北メディカル・メガバンク計画には15万人にコホート研究に参加してもらうという大きな使命があります。我々には宮城県だけで12万人のコホート参加者を集めるという目標がありましたが、宮城県の人口が約240万人ですから、実に県民の5%もの人、妊婦さんにいたっては全体の40%の人に参加してもらわなければいけない。だからコミュニティに向かって私たちがどう考え、何をしているのかを広報していくこと自体が、まさにプロジェクトの基本であり根幹なのです。そのためにはあらゆるメディアを駆使して、1つの重要な武器として広報を使おうと考えました。   ー経営的視点から見て、研究広報にとって一番大切なことはなんだと思いますか? 広報に一番大切なのは現場の創意工夫です。ただ、何でも発信すればいいわけではなくて、方向性を明確に持ったものを発信しなければいけない。そのコンセンサスを作るところが、リーダーの1番大切な役割だと思うのです。広報の専門家の意見を聞きながら、目標を常に明示していく。責任は自分がとるとドンと構えて、現場の創意工夫を自由に伸ばしながら、同時に情熱のかけどころ、力の込めどころを要所要所で伝えていくのです。私たちの機構において広報はある意味で研究者と対等な関係、いや対等以上な関係にある。そういう位置づけを機構の職員全体の意識に浸透させることも重要です。 もう一つは、研究広報とは社会と双方向的なものでなければいけないということです。そのために私が行った組織上の工夫は、広報と企画をマージさせたことです。「広報部門」じゃなくて、「広報・企画部門」。広報というのは社会との大学との間に立って戦略(=企画)を自ら作る人たちであるべきなのです。もちろん機構が決めたプロジェクトから広報戦略を考えるトップダウンの企画もありますが、広報の人たちのもう一つの大切な仕事は、情報を発信される対象の人たちがどんな意見を持っていて、どう感じているかを吸い上げて私たちにフィードバックすることなのです。広報というのは双方向で成り立つもので、自分たちが伝えたいことだけを押し付けるような一方的な広報をいくらやっていても、私たちの企画は良くはならない。「相手のニーズはなんなのか、相手のフィーリングはどうなのかを吸い上げて伝えてくれるのも広報の仕事なんだよ」、と言っています。当機構では、私がそんな無理難題を言って、それが自然にスキームになっているような気がします。    ...

愛される科学者、大学になる。その方法としての研究広報

脳科学で科学コミュニケーションといえばこの人、と業界では誰もが名前を挙げるのが、東北大学の医学系研究科教授、大隅典子(おおすみ・のりこ)氏。ご自身の研究のかたわら東北大学本体の広報部と東北メディカル・メガバンク機構の広報部門・部門長を務め、東北大学広報を科学者の側から後押しする仕掛け人です。 お話を伺っているとつい引き込まれてしまう科学者としてのチャームの持ち主である大隅氏に、科学者の視点から考える科学コミュニケーション、研究広報の価値と意味について伺いました。 研究広報専門のインハウスチームを持つことの意味 これまでの大学広報って、総務課が必要に応じてパンフレットや印刷物を作ったりしているだけで、ステークホルダーに対して大学の魅力をどうアピールするかという戦略的な観点では行われていなかったと思うんです。デザインも、予算立ててページ数を決めて外注するだけ。それだと作品ごとに内容やコンセプトがバラバラで繋がりのないものになってしまいますよね。それじゃ効果がないですよね。 大学がインハウスの広報チームを持つ意味はそこにあると思います。第三者ではなくて自分たち自身が、自分たちのしていることの価値をどう売り出して行くかを考えられるから。PR会社に丸投げするのではなく、組織の内側にいる自分たち自身が広報に関わるということに大事な意味があると思う。 広報人材に力を入れることで、東北大学の本部の広報もこの5年ぐらいの間に急激に進歩してきました。本部グローバル広報チームでは、専任の英語ネイティブな職員2名と英語が堪能な日本人2名を雇用しています。その4人のスタッフが大学本体の事務職員の方達と連携して仕事をする体制を、震災から3、4年の間に作り上げたんです。東北大学のホームページのグローバル広報の部分は、日本の国立大学の中でも、私、ピカイチだと思ってます。   科学者ペット論と科学コミュニケーション 科学コミュニケーションということでは私、「科学者ペット論」というのを唱えていまして。科学者というのは要するに国民のペット的な価値があるという意味なんです。こんなに面白くてユニークなペットならちょっと飼っておいてもいいかな、と思ってもらいたい。そのためには、「ね、可愛いでしょ?餌をあげてもらえませんか?」と、その魅力を国民の皆さんに売り込みする必要があると思うんですよ。 研究室に閉じこもっている研究者を必ずしも否定するわけではないけれど、やはり社会とのつながりを意識できる人材は必要だと思うんです。スポーツや芸術の業界では、選手、トレーナー、ジャーナリスト、評論家など、いろんな人たちがコミュニティを作り上げてるわけですよね。科学の世界はそれに比べると本当に一握りの科学者が自分の好きなことをして閉じている印象がある。科学者は昔みたいに大富豪のお金で研究をしているわけじゃなくて国民の税金で研究をやっているわけですから、「どうやって愛される科学者になるか」っていうことを考えるこがとっても大事だと思う。 実際、科学コミュニケーションの重要性については科学技術基本計画の第3期、第4期で文科省の委員をしている時から、研究者の立場からかなりしつこく訴えてきました。現場レベルでは、山本機構長から「医学部に広報室を作ろう」とお声かけいただいて初代の広報室長を勤めて、大学広報に関わる人材を充実させることを実現できたんです。その時の人材が、科学コミュニ ケーションの専門家やウェブ担当、デザイナーの方など、現在東北メディカル・メガバンク機構の広報戦略室で活躍してくださっている方たちです。研究者の立場から広報の大切さをしつこく伝えて普及させることが私の仕事だと思っています。   科学コミュニケーションの難しさを知った子供時代 私、子供の頃から小学校の夏休みの絵日記とか、学級新聞とか作るのが好きなタイプだったので、おそらくはジャーナリスティックな興味がベースにあるんだと思うんですね。...

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